10ヶ月の娘を持つ35歳の男が見た「マッスルメイツの2015」

2015年11月17日(火曜日)に後楽園ホールで行われた「DDTプロレス #大家帝国主催興行〜マッスルメイツの2015〜」が本当に素晴らしかったので、帰ってからすぐにこの文章を書いています。忘れないうちに、まだ熱いうちに。

 

まずはとても個人的な話になりますが、今年の1月4日に娘が生まれたんです。第一子です。1月4日と言えば毎年東京ドームで新日本プロレスの興行が開催されているわけですが、丁度その日のメインイベント、棚橋弘至対オカダ・カズチカ戦が行われているまさにその時間、うちの娘は産声をあげました。それから10ヶ月を過ぎ、幸いにも娘は大きな病気や事故もなく、すくすくと育っています。とても可愛い自慢の娘です。

 

娘が生まれたら、きっと父親として一生懸命仕事に精を出すのだろうと思っていました。彼女に対して恥ずかしくないように、彼女の父親にふさわしい自分であるように、沢山の面白いものを作ったり書いたりするのだろうと。でも、実際は、そうではなかった。最初のうちはそんな気持ちで頑張っていた時期も確かにあるのですが、いつしかその熱も薄れ、それどころかここ数ヶ月は、何もする気が起きない。仕事をしていて楽しいと思える瞬間が一切ない。何を書いていても、何をやっていても、自分の感情がまったく動かなくなってしまいました。

 

これはまあ、娘が可愛すぎて仕事が手につかないというのは確かにある、もしくは娘が生まれることで生活のリズムが変わってそれについていけないというのもないわけではない。だけど、もっと根本的に、仕事や書くことに対して価値を見いだせなくなってしまった。だって、娘が生まれたんですよ? それ以上のものなんて作れるか?って話じゃないですか。娘、というか一人の人間を作ってしまって、それと比べたら自分が書く文章なんて、何の価値もないんじゃないかって。それでもう、完全に落ちに落ちていたわけです、ここ数ヶ月。本当にやばいぐらいに。

 

ただまあ、言ったら15年もこの仕事をやっているわけですから、それを気付かせないようにちゃんと書く技術はさすがにあって。たぶん質も落ちてはいない。ここぞってときにはしっかり特別なものも書くことは、おそらく出来ている。でもそれは、精神衛生上わりと良いことではなくて、書く前から自分の書くものの出来が分かる。これぐらいのものが求められているから、それよりちょっと上のものを書く。それが仕事だと言われればそれはそうなんだけど、自分が自分に対して驚けなくなっている、それが続くと、じゃあ自分は何のためにこれを書いているんだとやっぱり思ってしまう。

 

要は、自分がものを作ったり書いたりするっていうことに、何の意味があるんだろう、って常にぼんやり思うようになってしまっていて。それはたぶん、娘が生まれたことと、15年っていうすごく微妙なキャリアっていう二つが理由にあって。好きで始めた仕事だし、今でも好きな仕事だって言いたいけど、自分の仕事に意味が見い出せなくなってしまって、それで今日、後楽園ホールで「マッスルメイツの2015」を観戦したわけです。

 

それでまあ、結論から言うと、そこにはエンタテインメントの本質があって。エンタテインメントにしか出来ない景色が確かにあって。目が覚めたっていうとちょっと違うけど、ずっと思い出したくて思い出せなかったものをようやく思い出せたというか、自分が好きなものはこういうことで、これをずっと好きでいたいし、だからこの仕事を選んだんだから、だとしたら愚直に頑張るだけで良いんじゃん別に、って当たり前のように思えたし、それは何よりも大事なことで絶対に忘れたくはないから、それでいまこの文章を書いている。

 

ネタバレはしたくないから細かい内容は書きませんが、「マッスルメイツの2015」の大団円、その会場に集まった全てのお客さんが笑顔になるっていう景色は、間違いなくエンタテインメントにしか造り出せないもので。まあ言ってしまえばプロレスの良い興行っていうのは大抵がそういうものなのですが、「マッスルメイツの2015」のラストはそれを完全に純化して突き詰めていて、ああそうだよな、自分が大好きなエンタテインメントってこういうことだったよな、って、思いながら、笑って泣いて。自分が好きなものはこれなんです、って、誰に対しても恥ずかしくなく言えるような、そういうもので。

 

プロレスの、個人の、団体間の、勝った負けたっていうのはそれ自体で当然のように面白いっていうのは勿論そうなんだけど、本当はもっと先がある。先というか、もっと根本に大切なものがある。エンタテインメントが出来ることに制限なんてなくて、どれだけ人を楽しませても面白がらせても笑わせても泣かせても良い。実は一番大事なところはそこだったりする。だからエンタテインメントは、プロレスは、マッスルは、素晴らしいのだと。ここはそもそも向こう側であって、そこには何の柵もない、そしてそれ自体がまさに素晴らしいところなのだと。

 

セミファイナルでマッスル坂井選手は竹下幸之助選手に「遠慮するな」と強く言っていて。プロレスラーなんてのは嘘ばっかりつく生き物だけど、でもあれはやっぱり心からの本音なんだろうと確かに思う。遠慮するな。自分で自分の限界を決めるな。悔しがれ。もっと怒れ。そして、愚直に頑張れ。これは命令形だけど、そうしろっていうことではなく、そうする自由が、誰にだってあるってことだ。ぼくらは本当はいつだって自由であることを許されていて、それを保証してくれるのが、エンタテインメントというものなのだ。

 

自分はもう、35歳だ。若くはないし、色んなことも知ってしまった。15年というキャリアは最低限の技術を磨くには充分すぎるほど長いし、いま自分が出来ることとそれに対する評価も推し量ることが出来てしまう。でも、まだ自由だ。生きている限り、エンタテインメントを信じることが出来ている限りにおいては、まだ自由だ。何をやったって良い。どんな風に生きても良い。自分の人生をつまらなくしているのは自分自身なのだし、そして自分の人生を面白くすることが出来るのもまた、自分自身でしかあり得ない。

 

この歳になって、たった一日、たった一度の興行で、人生が変わるなんて馬鹿げている。ぼくもそう思う。もっとマガジンハウスみたいな生き方を選んで良いんじゃないかって。だけどやっぱり、どう考えたって、いつかマッスル坂井に会ったときに「『マッスルメイツの2015』で人生を変えられました」って言えるほうが、ずっとそれっぽいんじゃないだろうか?

 

オープニングのVTRでマッスルメイツたちは「もう10日しかない、ではない。まだ10日もある」と言っていた。

 

誰もが歳をとる。もう、わりと生きてきた。それでも、まだ、生きている。