M-1グランプリ2015雑感(本当は「水道橋博士のメルマ旬報」で書くつもりだったいくつかのこと)

本来であればいわゆる「お笑い」のことを誰でも読める場所で書くのはあまり良いことではないと思っていて、っていうのはまあ基本的に板の上に立ってる人間のほうがそうでない人間よりも偉いというのがまずあるし、一応プロとして書き物でお金を貰ってる人間としてそういう大事なことを無料で書くのは違うんじゃないかというのもある。なのでブログでもツイッターでも芸人さんのネタというものにはなるべく踏み込まないようにはしているのだけれど、今日は例外として。

 

っていうのは、自分は「水道橋博士のメルマ旬報」って有料メルマガで連載をさせてもらっているのだけれども、今日配信された号で休載をしてしまい、本来書こうと思っていたM-1グランプリ2015について書くことが出来なかった。そしたらユウキロックさんの連載でM-1グランプリ2015についてすごくちゃんと書かれていて、ああ、しまったなと。何でも良いから書いておけば比較になったのに、勿体ないことをやらかしてしまった。なので、時間差にはなるが、本来「水道橋博士のメルマ旬報」で書いておきたかったことを記しておきたい。

 

ちなみに「水道橋博士のメルマ旬報」は以下のページから購読可能です。月額500円で完全にヒマは潰せるのでご興味ある方は是非ご購読を。ユウキロックさんの連載では、一人の審査員から届いたメールとともに今回のM-1をすごくまっすぐに語っておられるので、有料とは言え読んで損はないんじゃないかと思います。

https://bookstand.webdoku.jp/melma_box/page.php?k=s_hakase

 

で、これからM-1グランプリ2015についてちょっと書きますが、こういう場所で個別の芸人さんとかネタに対してどうこう言うってのはちょっと違うかなとやっぱり思ってるので、あくまでも一般論という形になります。批判とか毒とかはない、っていうかそもそもそんなことは思ってても書くわけはないので、そういうのが好きな方は別でやっていただければと思います。

 

というわけで以下、M-1グランプリ2015について。

 

「現状の敗者復活システムはあまりにガチすぎる」

 

今回、敗者復活が完全投票制、しかもスマホやケータイを使っての集計になってるわけですが、さすがにM-1、やっぱガチだなと。逆に言うと、知名度とかネタの好き嫌いとかを全て含めたうえで2位に入ったとろサーモンがすごいなって話でもあるし、ちゃんととろサーモンが2位に入るような投票をするお笑い好きの経験値がすごい。色んな意味で本当にガチすぎるし、視聴者を信じすぎているとも言える。

 

ただそうなると、やっぱガチの漫才師が敗者復活で勝ち残ってしまうし、ここで言うガチっていうのは客受けとシステムと明るさの総合点って感じの意味合いですが、実際にそうなっている。投票制だったら、やっぱり今年はトレンディエンジェルになるよなあと。

 

そしてそういった漫才師は、決勝に行っても強い。敗者復活というドラマもあるから、明るさを武器にして受ける。かつ今回からは歴代の優勝者であり現役の漫才師が審査をしているので、受けの要素がかなり大きな比重を持つ。これは良くも悪くもだと思うけど、「M-1」が持っていた狭さとか暗さとか、求道心であり閉塞感が、無力化される。島田紳助松本人志がいなかった「M-1」でアンタッチャブルが優勝したときのあの感じに、ちょっと近いのかもしれない。

 

で言うと、今年のトレンディエンジェルの優勝っていうのはそれはもうその通りだと思うけど、このシステムで行くと今後も結構な確率で敗者復活組が優勝するのではないか。それはそれで良いって考え方もあるけど、「M-1」がそうなってしまうことへの何だろう、一抹の悲しさっていうか、ちょっと寂しい感じもやっぱりあったりはするのだった。

 

「審査員が『拍手笑い』という言葉を使うことについて」

 

今回の審査員はやっぱり漫才を一生の仕事とすると決めた人たちばかりだから、それぞれに点数の基準があり、それだけを見ていても面白いし、単純にすごいなと思う。それを当たり前の前提としての話ではあるけど、コメントで「拍手笑い」っていう単語を使うのはちょっとやっぱ、どうなんだろうか、というのはある。

 

もちろんその審査員からしたら他意のないコメントだったとは思うんだけど、その発言以降は「拍手笑い」が良いってことにどうしてもなってしまうし、お客さんとしてもその場を盛り上げたいっていうのはあるわけで、そこからお客のリアクションが大きくなった感はある。「拍手笑い」というのは本来、笑いすぎて思わず拍手してしまうという現象を言うわけだけど、それを言語化してしまうとやっぱりちょっとブレてしまうのではないか。

 

まあ漫才に限らず、ネタっていうのは色んな形があるっていうのがすごく良いわけで、「拍手笑い」を是とするっていうのは一つの審査基準としてあってもいいけど、それはあまり共有されるべきものではないと思う。そうなると、「拍手笑い」待ち、みたいなことになってしまうので。それだけを目指していない漫才も、やっぱりあっていいし、あれはちょっとモヤっとしてしまった。

 

「誘拐ネタを『M-1』でかけるリスクの高さ」

 

たぶん、今回ネタの精度とか客ウケなど全部を含めて、一番点数が低くついてしまったのはハライチだと思う。順番やパフォーマンスもあるけど、あの漫才はもっと点数が高くついても良かったはずだ。とは言えネタのテーマは「誘拐」であり、「誘拐」ネタをかけるっていうのは、たぶん審査員一人につき2点ぐらいは下がるんじゃないかと思う。

 

っていうのは、漫才っていうのは実は色んな漫才師が繋いでいく芸能だっていうのがあって、少なくともこの日の審査員は全員そう思っている。たぶんこの人たちは全員、「M-1」の全ての漫才を既に見ているだろう。実は今回の「M-1」の審査というのはこれまでの賞レースと比べてそこが最も違う点なんじゃないかとも思う。全てが研究され尽くしている、という前提が最初にある。べらぼうに研究熱心な人しか、審査員の席にはいないという。

 

で言うと、漫才で「誘拐」と言えば、やっぱりどうしたってダウンタウンを思い浮かべざるを得ない。あの審査員席でダウンタウンの「誘拐」を見ていない人間はたぶんいないと思う。そうすると「誘拐」における漫才としてハライチはダウンタウンを超えてるかって話になるわけで、その壁はあまりに高い。ダウンタウンの「誘拐」は、未だに完全に面白いから。

 

「まとめ」

 

来年以降の「M-1」の審査方式がどうなるかは分からないが、現状のままで行くなら、勝つために必要なものはかなり露呈したんじゃないだろうか。ジャルジャルのように、システムだけでは勝てない(それは既に第10回のパンクブーブーが失敗している)。タイムマシーン3号のように受けるだけでも勝てない。というかそもそも「M-1」において重要なのは、勝つか負けるかではない。圧倒的に面白い漫才なのかどうか、だったりする。

 

大井町のアパートで、2005年のブラックマヨネーズの漫才を観たときの衝撃を、今でも忘れられないでいる。「M-1」にはそのロマンがある。ほかの賞レースのように、今回の出場者で勝ち負けを決めるっていう戦いじゃなく、歴史に残る漫才を本当は求めているのだ。勝敗や優勝がどうとかじゃない。頭をぶっとばされるような漫才を「M-1」では見たいんだよな、っていう。