モーニング娘。'17「若いんだし!」がいかに素晴らしい曲であるかを一所懸命に伝えてみる

2017年10月4日にリリースされたトリプルA面シングルの中の「若いんだし!」があまりにも素晴らしい。作詞・作曲のつんく♂さん、編曲の平田祥一郎さん、ミュージックビデオ監督の今村繁さん、そしてもちろん我らがモーニング娘。'17の皆さん、誰が欠けても成り立たない奇跡の作品としか言い様がない。というわけでモーニング娘。'17「若いんだし!」がいかに素晴らしい曲であるかを一所懸命に伝えてみようと思う。

 

まずはYouTubeにも上がっているミュージックビデオを観ていただきたい。事前情報として知っておいたほうが良いこととしては、このミュージックビデオの主役となっている美少女は工藤遥さんといって、このシングルでモーニング娘。'17を卒業することが決定しているということ。工藤遥さんは、モーニング娘。が大好きであるということ。それだけ知ってればあとは体と心が反応してくれるでしょう。まずはお聴きください。モーニング娘。'17で「若いんだし!」。

 


モーニング娘。'17『若いんだし!』(Morning Musume。'17[You’re Young Anyway!])(Promotion Edit)

 

何度再生してもその感動が薄れない、そればかりか再生する度に新たな発見が生まれるという恐るべき楽曲でありミュージックビデオである。これがモーニング娘。なんだよ!と、出来る限り大きな声で叫びたい。何かを本気で好きになることにはいつだってリスクが生じるけど、こんな素敵なご褒美が一生に一度だってもらえるのであれば、ぼくらはやっぱり河を渡ってしまうだろう。人生なんて、それくらいのものであっていいのだ。とにかく、モーニング娘。を好きで良かったと、心の底から宣言できる作品であることは間違いない。

 

というわけで、ミュージックビデオの時系列に応じて、モーニング娘。'17「若いんだし!」がいかに素晴らしいかをここに記す。

 

00分00秒〜

冒頭のカット、一人でバスに乗った工藤遥さんがすでに泣いている。この作品のテーマをここで視聴者に伝えると同時に、この工藤遥さんという女性が泣き虫な人であるということも紹介している。彼女がなぜ泣いているのか、その涙にどんな意味があるのかを、私たちは5分19秒のあいだそれぞれ考えることになる。この入り方は見事というほかない。そしてこれが、ラストカットへの伏線にもなっているというのがまたすごい。

 

00分49秒〜

「何度もチャレンジすりゃいいじゃん!」という歌詞はやっぱりあまりにもすごすぎて、つんく♂さんに敬服せざるを得ない。なぜってこれは、工藤遥の卒業ソングなのだ。アイドルグループからの卒業っていうのは、原則として一生に一度しかない。だからこそ卒業ソングというのは唯一無二のものとして特殊性を帯びるのだが、その中での「何度もチャレンジすりゃいいじゃん!」という、歌詞という形を借りたつんく♂さんからの工藤遥さんへのメッセージが、本当にらしいというか、つんく♂さんならきっと言うだろうし、そしてまた工藤遥さんに対してはこの感じが抜群にふさわしい。

 

女優になるという夢を追うためにモーニング娘。を卒業するという、それは工藤遥さんにとってはもちろん一大決心なんだけど、そこに重さを与えない。一生に一度の卒業ソング、しかも工藤遥さんがモーニング娘。のことを大好きだと知った上での「何度もチャレンジすりゃいいじゃん!」って歌詞をここで書けるのは、やっぱりつんく♂さんしかいないだろう。大好きなモーニング娘。を卒業して女優への道を選ぶってことが、それでも「何度も」の一つでしかないんやでっていう、そのエールの送り方がまさしくつんく♂印だ。

 

「何度もチャレンジすりゃいいじゃん!」って歌詞はつまり、モーニング娘。を卒業するっていうくらい大切な決心が、今後も生きてれば何度だって訪れるって言葉だし、「卒業ソング」のその先の人生に対して真摯にエールを贈った言葉だ。この一文だけで、工藤遥さんはつんく♂さんに出会うことが出来て本当に良かったなと、心からそう思う。

 

01分29秒〜

「What can I do?」という歌詞が、訳すると「私には何ができるの?」ってこの先の工藤遥さんの不安を感じさせながらも、同じ読み方で「わっきゃない!どぅー」と勝気なセリフとして捉えることもできる。矛盾する思いを言葉遊びで包括してるところがたまらない。もちろんその前提として、℃-uteの「わっきゃない(Z)」がある。この曲ではそれこそ「わっきゃない(Z)」と「What can I do?」を歌詞としてもじっている。

 

かつ「若いんだし!」では、「What can I do?」と「わっきゃない!どぅー」の両方の意味を感じさせながら、さらにサビの「若いんだし」ってフレーズの「わっかいんだし」って頭の「わっか」で音を当ててる感じもめちゃめちゃ巧いし、歌謡曲のやばさがある。音に合わせてイズムが見出されてく感じが、単純に肉体的に気持ち良いし、ちょっとしびれてしまう。

 

01分46秒〜

工藤遥さんは画面を右から左に、佐藤優樹さんは逆に画面を左から右に、それぞれ一人で歩いていく。1分56秒での「結局あの人と繋がってるんだよ」という歌詞で工藤遥が画面に手を振っているから、「あの人」とはつまり工藤遥である(って解釈もあり得る)ということが示唆される。この映像の作り方は本当に素晴らしい。歌詞の抽象性、っていうのはつまり誰がいつ聴いても感情移入できる余地を汚すことなく、歌詞が現すべき一つの光景を映像として描いている。一言で言うなら、粋だ。この粋って概念は、正しくモーニング娘。的であり、ハロー!プロジェクト的であるとも思う。

 

工藤遥さんは左へ向かい、佐藤優樹さん(と、後から合流する飯窪春菜さんと石田亜佑美さん)は右へ向かう。これは工藤遥さんにとっての卒業ソングだから、彼女たちは同じ場所から別の方向へ向かっているのだろうという解釈を許しながら、実はそうではなく、彼女たちは出会うために歩いているのだった。異なる道を、別々の方向へ歩いても、いつか出会うことが出来る。なぜなら「やっぱりこの空は続いてる」からだ。

 

だからこそつんく♂さんの「結果を先に気にすんな!」というメッセージが強い説得力を持つ。人は誰でも、その選択が正しいか間違っているかをその選択の時点で判定することが出来ない。それはいつだって後から気付かれるものだ。それでも確実に「やっぱりこの空は続いて」いるのだから、どんな道をどう歩いたって出会うべき人とは出会うし、自分がなすべきことといつかは遭遇する。だからこそつんく♂さんは工藤遥さんに「結果を先に気にすんな!」と堂々と言えることが出来るのであって、これこそがつんく♂イズムだ。胸にしっかり刻んでおいてことある度に思い出したい、真の名言ではないか。

 

04分19秒〜

「無くしたものばっかり数えても なんにも未来には繋がらないんだよ」という言葉もまた、本当に深い。額面通りに受け取ってしまうと、無くしたものを数えても意味がないんだから無くしたものを数えるな、と捉えることが出来るし、もちろんそういう意味合いもあるだろうけど、それでもモーニング娘。'17のメンバーたちの笑顔はあまりにも愛おしくて忘れることなんて出来ないだろう。彼女たちのことを「無くしたもの」として割り切ってしまうことなんて出来るわけがない、きっと世界の誰にだって。

 

だからここでのモーニング娘。'17のメンバーたちの笑顔やあるいは個々の存在自体は、工藤遥さんが「無くしたもの」ではない。そうではなく、工藤遥さんがこれまでの人生で「出会えたもの」であり、あるいは「手にすることが出来たもの」だ。そしてつんく♂さんは、それらを数えることは禁じていない。だから工藤遥さんはいつだってモーニング娘。での経験や出会った全ての人を思い出すことが許されているし、それはきっとこれからも、工藤遥さんの背中を押し続けてくれるだろう。

 

05分04秒〜

バスの中で一人で泣く工藤遥さんの涙に気付く者は、当たり前だが誰もいない。だがこのワンカットの後でモーニング娘。'17のメンバーに囲まれた工藤遥さんが泣いたとき、その涙は隠そうとしても、佐藤優樹さんに気付かれて、からかわれてしまう。工藤遥さんはモーニング娘。に加入して活動することによって、少なくとも、自分が流した涙に気付いてくれる素晴らしい人たちと出会うことが出来た。

 

そしてそれは、これからもずっと同じだ。モーニング娘。'17に残る譜久村聖さん、生田衣梨奈さん、飯窪春菜さん、石田亜佑美さん、佐藤優樹さん、小田さくらさん、尾形春水さん、野中美希さん、牧野真莉愛さん、羽賀朱音さん、加賀楓さん、横山玲奈さん、森戸知沙希さんは、卒業していく工藤遥さんにとっての「無くしたもの」ではない。彼女たちはこれからも、工藤遥さんが泣けばからかうように笑うし、工藤遥さんが笑えば自分たちのこと以上に喜んで笑うだろう。当たり前だ。だって、モーニング娘。っていうのは、そういうものなのだから。

 

工藤遥さんとモーニング娘。'17に、許される限りの愛と感謝を。あなたたちと出会えて良かった。好きになれて良かった。そしてこれからも、ずっと好きです。