ウーマンラッシュアワー村本大輔氏のステージを観て一人の松坂世代が思ったこと

高校三年の夏のことを今でもたまに思い出す。一言で言えば、とても嫌な夏だった。17歳とは誰にとっても美しい季節というわけではない。同級生の友人が大学受験に向けて着実に歩みを進めるのを横目で見ながら、自分には何もなかった。大学へ行きたいという意欲はなく、だからと言って貫きたい夢があるということもなく、自分には何が出来るのか以前に何がしたいのかが分からなかった。そのくせ自尊心だけは高く(これは今でもそうだが)、自己愛は人並外れで(これはむしろ未だに年々増している)、何もないくせに、自分には何かがあると信じ込んでいた。何か根拠があるわけではなく、そう信じ込まなければ、頭がおかしくなりそうだったからだ。

 

それはつまり今になって思えば、どこにでもいる17歳ということだが、当時のぼくはそれを知らない。自分の苦悩を一般化できるほど大人ではなかったし、自分の苦悩を愛さずにはいられないほどには子供だった。自尊心と自己愛を昇華させる手段は自慰行為しかなく、陰茎がこすれて血が出るほどオナニーをした。ズリネタは常に人妻の筆下ろしものの一択だった。気が遠くなるほど圧倒的な童貞だったし、誰かと対等にセックスが出来る自信や勇気なんて一欠片もなかったから、恋愛対象でない年上の女性から手ほどきを受けるというシチュエーションにしかリアリティを感じられなかった。その性癖は今でも続いているのだが、その話は長くなるのでまた今度にしてほしい。

 

その夏の日もまた、いつもそうであるように、母親が夕飯の買い物に行った隙を見計らってお気に入りのVHSテープを再生して、偽名しか知らない人妻から「男」にしてもらった。初めてなのにすごいじゃない、なんて言われれば勿論まんざらでもなく、鼻を膨らませながら中腰で停止ボタンを押すと、そこは1998年の夏の甲子園球場だった。松坂大輔という名前の同い年の高校球児が、マウンドで躍動していた。その汗は文字通り、きらきらと輝いていた。その完膚無きまでに美しい汗は、自分がいま手に持っているティッシュの中の濁った精液と、同い年の男の体内から出た汁だとは到底思えなかった。

 

次の夏が来れば、あの夏は、20年前の夏になる。だからもうあのときの感情を正しく言葉に替えることは出来ない。それをするには、あまりにも遠すぎる。だけど一つだけ確かに覚えているのは、あの日の松坂大輔をテレビを通して見た自分自身がこぼした暗い声だ。今に見てろよ。それは前向きな決意などではなく、ただの呪詛だった。精神の形としては通り魔に近い。だけどそう言うことしか出来なかった。そしていつか、この言葉を共有できる同い年の誰かが、きっと世の中に出てくるはずだと、そうじゃなきゃ嘘だろうと、そのときから思っていた。もちろん全ての松坂世代がそうというわけではないだろう。だけど少なくともぼくにとっては、松坂世代というのはそういった種類の、つまり、呪いの言葉だ。

 

このとき、村本大輔氏がどこで何をしていたのかをぼくは知らない。生まれ年の1980年に甲子園で活躍した「荒木大輔」からおそらく同じように取られた「松坂大輔」の活躍を、当時の「村本大輔」が見ていたかどうかもぼくは知らない。だからそれが偶然なのか必然なのかを計り知ることも出来ないが、松坂大輔選手が再起をかける今年、村本大輔氏は海を渡り、一人ステージに立った。その映像が、有料メールマガジンウーマンラッシュアワー村本大輔の『THE SECRET COMEDY SHOW』」でこのたび配信された。

 

ウーマンラッシュアワー村本大輔の「THE SECRET COMEDY SHOW」

https://bookstand.webdoku.jp/melma_box/detail.php?mid=29&cid=1403

 

時を経て、今や松坂世代はベテランを越えてロートルと呼ばれる年齢に差し掛かっている。松坂大輔という稀代のエースに挑んだ同い年の男たちが順番に表舞台を去って行く。それが37歳のリアリティだ。決して若くはない。アスリートであればより分かり易いが、それは同い年の人間として他人事ではない。自分が出来ることと出来ないことのあいだで格闘し続けた20代があり、出来ることを突き詰めた30代があり、じゃあそこから次はどうするんだ、と、新たに問い詰められるというのがおそらく30代後半のリアルだろう。これはたぶんどの職種でも同じだ。問いに答え続けたこれまでがあって、そこから先、新たに自分で問いを作らなければいけないというのが、たぶん37歳の宿題なのだ。

 

出来ること、出来ないことが、もう分かる。やる前からそれが分かってしまう。貧乏なわけでない。たまにうまいものを食いに出かける程度の余裕はある。何なら家庭もある。守るべきものがある。17歳の頃、何もなかった自分に対して、見せつけてやれるほど、たくさんのものがある。でもたぶんそうはしないし、出来ないだろう。あいつのほうが本当はすごいと、心のどこかで知っているからだ。何もないからこそ何かを得ようと、そう思って本気でやってきた人生の長さがあるから、何もないやつの怖さに怯えるのだ。総合力なら勝てるだろう。知識も技術も経験もあいつよりは上だ。だけどそれは言い換えれば、総合力でしか勝てないということでもある。結局、人生の尺度を17歳の自分に設定している以上、あいつには永遠に勝てない。どうにかして引き分けに持っていくことは出来るだろう。でも、ある種の特別な馬鹿は、あいつに勝とうとする。2018年3月現在の、「村本大輔」と「松坂大輔」、二人の「大輔」は、正しくそういった、ある種の特別な馬鹿であると思う。

 

37歳。出来ること、出来ないことが、もう分かる。やる前からそれが分かってしまう。だからこそ、出来るかどうか分からないことに身を置く村本大輔氏の意義みたいなものに対して、一人の同い年として共感し、感動する。独りマイクの前に立ち、アクセントのおぼつかない英語で話し始めたとき、恐々と見つめながら、その言葉がウケを取れば、感激してしまう。ウーマンラッシュアワーが漫才の舞台でウケた笑い声の量と質が、村本大輔氏の背中を押しているのが、画面を通して伝わってくる。「俺が作ってきた漫才が、どんだけ笑かせてきたと思ってんねん? なあ?」という、自負と覚悟と矜持と、努力と技術と執念と、あるいは自尊心と自己愛が、紛れもなくこのステージに詰め込まれている。1本のマイクの前でしか表現し得ない人生が、この映像に、確かに凝縮されている。

 

だから、この村本大輔氏のステージの映像は、真剣に「お笑い」をやる人、あるいは「お笑い」を愛する人にとって、一つの試金石でもあるが、これほど素晴らしいものはそうはないだろうとも思う。「お笑い」は、少なくともぼくらにとっては、カッコいいものだった。最高に新しくて、オリジナルであることを恐れていなくて、孤高であることが許される特殊な職業だった。村本大輔氏は、その意味で正しく、「お笑い」の系譜を継ぐ者だ。カッコいいことにビビってない。それをしっかり実践できる人は、やはりそう多くはないだろう。しかしそれは他人事ではない。37歳。終わりじゃないのだ。村本大輔氏が出来るなら、ほかの誰かに出来ないわけじゃないだろう。まだ何も終わってない。それどころか、まだ始まってもないだなんて、なんて人生は永いんだろう!

 

1980年に生まれて、「お笑い」を好きな人生を選んで、本当に良かったと思っています。ウーマンラッシュアワー村本大輔さんにぼくが持ち得る限りで最大限の愛と感謝を。